困ったときの神頼み やってもいいの?

わたしたちは、ここぞという時に、神頼みってしませんか?
受験や商売、結婚、出産様々なお願い事が、人生にはつきものです。
他力本願は、甘えている。だから、よろしくない。とする意見もあるようです。
でも、二つのルールさえ守れば、神頼みをしても大丈夫のようです。

その前に神様について考えてみましょう。
あなたは。神様をどのように理解しているでしょうか?
わたしの見解を言いますね。
神様は、神社に祀られています。神社は、聖域で本来ならば不浄まるけの人間が、おいそれと立ち入れる場所ではありません。
伊勢神宮では、わたしたちレベルでは社の真ん前まで歩み寄ることは、許されていません。
そもそも神社は、森にあるものです。森は、杜(もり)は、盛りを表します。
つまり、墳墓のことです。神社は、お墓であるわけです。
その土地で尊敬されていた部族長や技術者、あるいは皇族の血統を引く偉い人たちが、埋葬されているわけです。もちろん、その人たちのパワーに与りたくて、御霊として祀っている場合もあります。

さて、神様というのは、そういった意味もあって、あなたとご縁がなくてはいけません。
そもそも、あそこの神社は、願いが叶うからと他所の神様に願をかけるなんて、よそ者が何しに来たんだ!と思われてしまします。
そこで、神頼みの一つ目の条件は、あなたの住んでいる土地の鎮守の杜ー神社を調べてください。そこの神社が、どんな神様を祀っているかも調べてください。
それが、自分の魂と神様の魂の交流の第一歩です。

二つ目の願掛けの条件は、例え願ったことが、叶わなくても決して神様を無視しないことです。その願いは、今のあなたに必要がなかったと考えることです。
願いが、叶わなくても、きちんとお礼を言いに行きます。

この二つの条件をクリアーすれば、困ったときの神頼み。OKです。
わたしはというと、しょっちゅう神様に尋ね、お願いし、甘えてばかりです。
でも感謝の祈りは、忘れません。

守られている実感が、湧いてくれば、それで十分です。
あとは、日々の努力、学習を怠らないように頑張ることを忘れては、いけませんよね。
何もせずに、神頼みだけするなんてムシが良すぎます。

ちなみに、お百度参りってありますよね。二本の柱を願いを念じながら100回廻るとか、お茶を飲むのを我慢するお茶断ちとか。
慢心を悔い改めるには、それはそれで意味のあることだと思います。
しかし、マニアックな自虐による願掛けを真に神様が、望むでしょうか?
本来、神様は、明るく清浄を好むものです。
大切なのは、日々の明るい生活を心がけることが、一番神様に好かれることだと思います。

惟神(かんながら) いきとしいける よもすがら

はわいてのぞみ いやびたてまつ

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