人は、死んだらどうなるの?

人は、「苦」の存在である。
それって、どういう意味でしょうか?
いつも順調で悩みもなく、生きていけたら万々歳ですよね。
でも、どういうわけか、わたしたちは悩みます。
進路や仕事、恋愛、あるいは、今日の晩御飯何を食べようかまで、大なり小なり悩みは尽きません。

まあ、人生を平凡に大過なく過ごしたとしても、最終的には「死」という「苦」は、絶対に避けられません。
そこで気になるのは、わたしたちって、死んだらどうなるの?という疑問です。
どんな大金持ちであろうと、そうでなくとも平等に与えられた「死」は、誰にも訪れます。

ちょっと意外な話をします。
人は、引き算で生きているということです。
人は、生まれて年齢を重ねます。これは、一見足し算のように映ります。
そして、人生の過程で様々な経験をしていきます。また、収入の面でも大人になればそれなりの生産性を高めて上がっていきます。
全てが、プラスの方向に向いていることから、わたしたちは、足し算をしている錯覚に陥ります。
これこそが、曲者なのです。
よくポジティブにプラス志向に行こう!と説かれますよね。
それは、それでいいことだと思います。
しかし、プラス志向の裏側には、自分の範疇を超えた「無理」が、生じます。
この時なのです。
一旦立ち止まって、「どうして、わたしは生きてるの?」なんて考え始めたりします。
この疑問が沸いてきた時こそ、霊格の上がる時なのです。
本能的に生きることが、プログラムされているはずなのに、あえて生きる価値を考えることは、非常に高度なことなのです。一種のメディテイションレベルと言えます。

さて、「生きる」にスポットを当てた場合、先ほどの引き算の考えを当てはめてみましょう。
人は、生まれてから即時に死に向かっています。しかし一方で物心両面で成長しています。
となると、生きる意味を模索することは、プラスマイナスゼロの位置に立っていると考えられませんか?

その昔インドでは、お釈迦様が様々な教えを説きました。
その中でも一番重要視しているのが、このゼロの理論です。
ゼロの概念は、インド人が発見したとも言われる所以です。さて、このゼロですが、わたしたちは、普段あまり意識することはありません。それくらい本能的な要素を含んでいるからです。
ものを数える時、ゼロー1-2-3とは、まず数えませんよね。
でも、ゼロがあるから、1があるのです。
そんな具合にわたしたちの「生きる意味」は、普段から意識下にあってあまり意識されないものなのです。

さてさて、では、この生に対する「死」ですが、わたしたちは死んだらどうなるのでしょうか?
西洋では、死んだらおしまい。と考えるようです。仏教徒のように輪廻転生のイメージは、ないと言われます。
ですが、日本人のわたしたちの大半は、転生を何気に信じています。これは、仏教文化の影響でしょう。いわゆる考えの違いです。
考えと言えば、その深いところにあるのが、想念です。
念というのは、「一念岩をも通す」と表現されるように、わたしたちの強い思いは、何某かの残像めいたものを残したりします。
死を受け入られない状態にある幽体は、そのいい例でしょう。

転生には、2種類あると思います。
一つは、まだ生きていたい、もっと生きながらえてやり残したことをしたい。と強く思う想念。一方、往生して死を迎えてあの世で、お務めとして生まれ変わらされるもの。この二つが転生の機転となると考えます。
二つ目の、生まれ変わらされる転生は、霊界で仕込まれていることなので、どうしようもないことですが、人が、強く思う想念による転生は、自分たちの気持ち次第で何とでもなるように思われます。
わたしが、死の淵から帰ってきた経験をもってすれば、間違いなく死後の世界はあります。
そして、大半の霊体は、ちょうど眠っている状態と同じで何も意識することもなく真っ暗な闇に置かれます。
死後の世界を見れるのは、わたしのように死の淵から生還する運命にある者にしか、見せてもらえないようです。つまりは、死後の世界があることを伝える仕事を与えられたようなものでしょう。
先ほどの引き算の話しを思い出してください。わたしたちは、死をもって元に戻る=引き算されるわけです。確かに、老いるとは身体レベルの様々な要素が、引き算されていきます。そして、最終的に死です。
一方、生命の誕生は、原子のレベルから分子、細胞~組織、やがて肉体を持った生命へとつながるわけです。死は、その引き算なわけですから、死は、原子よりもさらに小さな不分化な塵より細かな存在になると思われます。
そこには、魂だけが浮遊する別世界が存在します。
しかし、想念だけは、強く残っていきます。
いい意味で、その想念が転生されればいいですが、怨念のような想念が転生されていくとその魂は、恐ろしい存在になりかねません。

死んでもなお残る想念ならば、一日一日を大切に日々感謝して生きていかないといけないですね。消化不良の想念が、怨念になることだけは、避けたいですものです。
そして、生まれ変わるならば、今生の世より素晴らしい人間として。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です